4週目

「22日目 それは誤解だから」


 ぶふぉっ!
「きゃあっ? もう、ダメでしょ、雄一〜」
 ぷりぷりと怒るのは、俺の前に座っていた美咲だ。
 旅行2日目の朝食の時間。俺たち4人はいつものように談笑しながら食事を取っていた
のだけど、美咲が発した言葉を聞いた俺は、思わず吹き出してしまったのだ。
「げほげほっ……、わ、悪い。けどな、今のを聞いて吹き出さないやつはいないぞ。なあ、
弘明」
「……確かにな。お前らがそういう関係だとは知っていたつもりだったが、あらためて聞
かされるとびっくりせざるをえない。なあ、グッさんもそうだろ」
「……う、うん。でも、今のは美咲ちゃんがよくないと思う」
「えー」
 えーじゃない。


「別にそんなにおかしなことじゃないでしょ。『わたしの胸がおっきくなったのは、雄一
に揉まれたせいってことにして』って言っただけじゃない」


 美咲が言うには、昨日のお風呂での出来事らしい。
 グッさんと旅館の大浴場に入っていると、明子ちゃんが入ってきたので、一緒に背中を
流し合ったらしい。
 それ自体は仲良くなった証拠なのでいいんだが、問題はその後だ。
「うわ、なに、美咲ちゃん。このすごいおっぱいは!」
「え?」
「え? じゃないでしょ。普通の高校生はこんなに立派なおっぱいをしていないものよ」
「そうかなあ」
「そうなの! 私なんて、こんなに慎ましい胸だと言うのに……くすん」
 明子ちゃんは涙を流したらしい。
 思い出してみると、確かに明子ちゃんはどちらかと言えばスレンダーなタイプだったが、
残念ながら着やせするタイプではなかったようだ。
「香奈ちゃんも結構立派だね」
「そ、そんなことないと思うけど……」
 じとーと見つめる明子ちゃんの視線が痛かったと、グッさんは語った。
「やっぱり、男の人に揉まれると大きくなるのかな」
「さ、さあ?」
「あ、目が泳いでるよ、美咲ちゃん。さては、いっつもこんなふうに揉まれてるんでしょ!」
「ふぁっ!? ちょ、ちょっとダメだってアキちゃん……うぁん」
「むむー、ますますこの弾力が羨ましいわ! 相手は誰なの? まさかヒロってことはな
いだろうから、雄一くんね? すっごく仲良さそうだし。ね、ね、そうなんでしょ?」
 ぐにぐにと美咲の胸を揉みながら迫る明子ちゃんに、美咲はついに首を縦に振ったのだ
そうだ。


「だからね、アキちゃんに聞かれたら、そう言ってあげて欲しいの」
 ……まあ、それで明子ちゃんが納得するなら……って、んなこと言えるか!
「すまんな、舞阪。アキには俺から言っておくよ。グッさんも悪かった。悪気はないんだ
けど、どうも胸のことになるとあいつは目の色を変えちまうからな」
 弘明が美咲とグッさんに頭を下げた。
「ううん、別に怒ってるわけじゃないから、弘明くんは気にしなくていいよ」
「そうだよ。まだあまり話してないけど、明子ちゃんはとってもいい子だって思うよ」
「ふたりにそう言ってもらえると、助かるよ」
 ようやく弘明は顔を上げた。


 午前中は勉強タイムということで、夏休みの宿題を進めた。旅行だからと言っても、遊
んでばかりいられないのだ。
「しっかし、夏休みってのは休むためにあるはずなのに、どうして宿題はあるんだろう」
「それは、毎週休みの日曜日にも宿題があるのと同じなんじゃないの?」
「おお、それは一理あるな。しかし、宿題があったら休めないのはどうする、舞阪?」
「休んでから、宿題を片付けたらいいと思うな」
 という弘明と美咲の会話をBGMに、俺は英語の穴埋め問題を埋めていた。
 現在形を過去形にするという単純なものだが、単語によってはスペルがまるで違うのが
めんどうなところだ。
「えーっと英語の辞書は……って、そんな嵩張る物持って来てないぞ」
「はい、雄一君」
 グッさんがすかさず出してくれたのは、まさしく英語の辞書。
「ありがと。でも、よく持ってきてたね?」
「私もよく使うから。英語はちょっと苦手だから、辞書は必需品なの」
 グッさんがちょっと苦手なら、俺はどれぐらい苦手になるんだろう。
「それじゃ、使わせてもらうよ」
「どうぞ〜」
 こうやって見ると、辞書の使い方もひとそれぞれなんだなあということがわかる。
 俺なんかは必要なページを折り曲げて目印をつけておくので、すぐにページがぐしゃぐ
しゃになってしまうんだが、グッさんは付箋を貼るようだ。何種類も色を使い分けて、と
てもカラフルで見やすい。
「こういう使い方もあるんだな」
「何のこと?」
 グッさんが首を傾げる。
「辞書の使い方。美咲なんかは、マーカーペンを大量に使い分けるし、グッさんは付箋だ。
俺は折り曲げるだけで、弘明なんて何もやってない。人それぞれだけど、おもしろいな」
「そうだね。でも、自分のやりやすい方法でいいんじゃないかな。私も最初は一種類の付
箋しか使ってなかったけど、美咲ちゃんのやり方を見て、色分けするのもいいかなって思っ
たのがきっかけだから」
 ふむ、そうなると美咲は誰の影響でマーカーペンを使うようになったんだろうな。
 そんなことを思いつつ、英語のテキストは埋まっていった。


 お昼ごはんを食べてのんびりしていると、明子ちゃんに手招きされた。近づいてみると、
いきなり頭を下げられた。
「ごめんなさい!」
 ……?
「いきなりどうしたの?」
「ヒロに怒られたの、美咲ちゃんのこと。だから、謝っておこうと思って」
 ああ、美咲のアレのことか。
「いいって、別に。それに俺は何かされたわけじゃないし、美咲とグッさんも平気みたい
だから、気にしなくていいと思うよ」
 ふたりが気にしてるなら別だが、そうじゃないならこの件はさっぱり解決したい。


「でも、彼女の胸を揉まれて、あんまりいい気はしないでしょ?」


 ……なに?
「誰が、誰の彼女だって?」
「美咲ちゃんが雄一くんの」
 ……どうしてそういうことになっているんだ?
「違うの? だって、あんなに仲良さそうだから、てっきりそうだと思って。幼なじみ同
士って、ちょっと憧れるなあって思ってたんだけど」
 そりゃ、憧れるのは自由だけどさ。
「せっかくの憧れを壊して悪いけど、それは誤解だよ。俺たちは単なるお隣さん同士」
「……ふふ、それじゃあそういうことにしておくね♪」
 まるで信じられていなかった。……別にいいけど。
「昼からはみんなで出かけるんでしょ。私も一緒にいいかな?」
「ああ、もちろん。こっちから誘うつもりだったんだ。いろいろ案内してもらえると嬉し
い」
「それに関しては任せてよ☆」
 明子ちゃんは誇らしげに控えめな胸を叩いて、そう言った。


「23日目 山に登ろう」


 旅館『高月』の裏山は、ハイキングにもってこいだと言うのは明子ちゃんの言葉だった。
「私たちにとっては朝ごはん前の散歩コースなんだけど、みんなにとってはどうかな」
「ふっふっふ。それはわたしたちへの挑戦ってことでいいんだよね、アキちゃん?」
 美咲のその声で、俺たちがハイキングに行くことが強制的に決まった。
 付き合わされるほうの身にはならないんだろうかね。
 ま、俺はいつものことなので驚きもしないが。
「あれ、雄一くん。やけに落ち着いてるね。もしかして、山登りとか経験豊富なの?」
「いいや。ロクに行った事がないけど」
「じゃあ、なんで」
 不思議そうな表情の明子ちゃん。
「美咲だけなら不安だけど、グッさんも弘明もいるし、大丈夫だろ。一応、俺も行くしね」
「おおっ、さすがカレシは言うことが違うね〜。まあ、危険な山じゃないから、その点は
気楽に楽しんできてよ」
 だから、カレシじゃないっての……。


 お弁当を作ってもらって、山登り用のアイテムを持って、準備は万端。
「それじゃあ、出発するか。俺が先頭で、次が舞阪。グッさんが3番手で、殿が雄一だ。
俺は登ったことがあるから、あえて感想は言わないけど、ゆっくり歩いてりゃ大丈夫だか
らな」
 弘明の言葉を聞いて、俺たちは頷きあう。
「がんばろうね、みんな」
「うん! 雄一、遅れないでついて来るように」
「はいはい、わかったよ」
「はいはYESでしょ、雄一」
 英語にする必要はどこにもなかった。


「っくしゅん!」
 可愛らしいくしゃみをしたのはグッさんだった。
「ほい、タオル」
「あ、ありがとう雄一君」
「あったかいお茶もあるよ、香奈ちゃん♪」
「美咲ちゃん、ずいぶん用意がいいね。夏だから冷たいお茶だとばっかり思ってたよ」
「えっへへ。実は、アキちゃんが作ってくれてたりして」
 うーむ、もしかしてこうなることを予想していたんだろうか。
 その時、がちゃりと扉を開けて入ってきたのは、全身カッパに身を包んだ弘明だった。
「どうだった?」
「いやー、さっぱりだな。しばらくはここで休憩したほうがいいだろ」
 俺たち四人は、突然降り出した雨のせいで、途中にある小屋へ避難していた。


 先に進むべきか、それとも戻るべきか。その判断をするために、一旦小屋から出て外の
様子を弘明に見に行ってもらっていたんだけど、どうやら第三の選択をすることになりそ
うだ。
「雨がやんでくれりゃいいんだけど、ここまで勢いが強いと危ない。幸い、天気予報では
長引きそうにないみたいだし、しばらくは雨宿りだな」
 地元ではないが、このあたりの地理に一番詳しいのは弘明だ。その弘明が言うんだから、
間違いない。
「うう、こんなことなら着替えを用意してくるんだったな」
 グッさんは、少し寒そうにしている。
「大丈夫だよ、香奈ちゃん。こういう時は、人肌であたたまるのがいいんだって♪」
 美咲は香奈ちゃんをぎゅうっと抱きしめた。
「だ、ダメだよ。美咲ちゃんまで濡れちゃう」
「平気だよ。……それとも、雄一に代わったほうがいいかな?」
「そそそ、そんなことできるわけないでしょ?」
「じゃあ、弘明くんは?」
「絶対にダメだってば!」
 ……弘明、別にお前が拒絶されてるわけじゃないんだから、そんなに肩を落とすな。
 グッさんの思いも寄らないひとことでダメージを受けた弘明は、すみっこでうずくまっ
てしまった。
「ちょ、ちょっと弘明君、なんですみっこに行っちゃうの?」
 グッさんの声にも反応がない。
「グッさん、しばらくほうっておいてやってくれ。それがあいつのためだ」
「……そうなのかなあ」
 まあ、雨がやむ頃には元気になってるだろ。