2週目

「8日目 麻美と美咲」


 ぴんぽーん、という呼び鈴の音が聞こえたので、朝っぱらから宅配便でも届いたのかと
思ってドアを開けたら、そこにいたのは幼なじみの姉妹だった。
「おはよう、雄一♪」
「おはよう、雄くん」
「おはよう、ふたりとも。えと、今日はふたり揃ってどうしたんですか?」
 後半は麻美さんに聞いた質問だった。
「美咲ちゃんと雄くんはこれから部活で出かけるんでしょ。私も大学まで行く用事がある
から、たまには一緒に行きたいと思って。いいかしら?」
「ああ、そういうことですか。いいですよ、もちろん。ちょっと待っててください。今バッ
グを取ってきますんで」
 俺は階段を駆け上がって部屋の片隅に置いてあるバッグを取ると、階段を駆け下りた。
「お待たせ〜。それじゃ行きましょう」
 と言っても、ふたりとも動こうとしない。それどころか、俺の顔をじーっと見つめてい
る。……何かついてるのか?
「雄くん。その格好で行くのは、お姉ちゃんちょっと恥ずかしいかも」
 へ?
 そこで気づいた。俺はパジャマ姿のままだということに。
「ちょ、ちょちょちょっとだけ待っててっ!!」
 俺は再度階段を駆け上がることになった。家の前で美咲が大笑いしている声が、二階ま
で聞こえてきた。


「まったく、雄一はあわてんぼうなんだから」
「うっ、今日に限っては言い返せない……」
 俺と美咲、そして麻美さんは一緒に歩いていた。
 俺と美咲が通っている玉川城南高校と、麻美さんが通っている玉川城西大学は、駅で一
区間しか離れておらず、よっぽど天気が悪くない時以外は、麻美さんは歩いて大学まで通っ
ているらしい。麻美さんいわく、ダイエットも兼ねているの、ということだが、麻美さん
にそんな必要がないのは誰の目にも明らかだった。
「しょうがないわ。雄くん、美咲ちゃんを少しでも待たせたくない気持ちでいっぱいだっ
たんだから」
 そんなことは断じて無いと言える。
「えへへ、そうかな?」
「そうよ。そうに決まってるわ。ね、雄くん?」
「……う、うん」
 んなキラキラした目で聞かれたら、頷かざるをえません。
「ほら、お姉ちゃんの言ったとおりでしょう、美咲ちゃん♪」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん☆」
 毎度の事ながら、このシスラブトークはなんとかならないものかなあ。いや、仲が良い
のはいいと思うんだけどさ。
 ちなみに、シスラブってのはシスターラブのことな。シスターと言っても修道女のほう
じゃなく、姉・妹のほうだ。
 仲の良い姉妹は日本全国たくさんいると思うが、この二人以上に仲良し姉妹はいないん
じゃないかと俺は思っている。


「それじゃ、私はこっちだから。雄くん、美咲ちゃんをお願いね」
「はい。わかりました」
「美咲ちゃんも、雄くんに迷惑をかけないようにね」
「わかってるよ、お姉ちゃん」


「「いってらっしゃい♪」」


 舞阪姉妹の声が、きれいに重なった。
 いつもの光景だけど、いつ見てもあったかい気持ちになるのは不思議だな。
 麻美さんの姿が見えなくなるまで、俺たちは手を振って。
「それじゃ、私たちも行こう。雄一♪」
「おう」
 今日も一日、がんばるか。


「9日目 弘明と雄一」


 今日もじーじーとセミの声が暑さを増している。と思ったら急に雨が降ってきて、じめ
じめと暑くなってくる。もしかしたら、今年の夏はずっとこんな調子なんだろうか。
 運動部でも俺たちバスケット部は基本的に体育館なので、雨が降ろうが雪が降ろうが平
気だけど、外でやっているやつらは大変だ。
「こら、雄一。よそみしてちゃダメでしょ」
 べしっ。ハリセンで俺の頭を殴ったのは、美咲だ。
「どうせ、水泳部の女の子の水着姿でも見てたんでしょ」
「おい、ちょっと待て。ここからプールは体育館をはさんで向こう側にあるんだぞ。見え
るわけないだろ」
「何言ってるの。雄一が心の目で見ていたのは知ってるんだよ?」
 ふふんと豊かな胸を張る美咲。……おいおい。
 俺は反論しようと口を開いたところ、
「おーい雄一。いつまで舞阪といちゃいちゃしてるんだよ。部外者の俺を練習につき合わ
せてるんだから、しっかりやってくれないと困るぞ」
 助っ人の弘明がにやにやしながらそう言った。
 ……しょうがない。
「おう、今行くよ」
 言いたいことは美咲にも弘明にもあったが、今はバスケをやろう。


 練習が終わってから、俺たちは食事を取った後でいつものように図書館にやってきた。
 俺たちが通っている玉川城南高校の隣には、市の図書館がある。市としても力を入れて
いるらしく蔵書の量も多いが、それだけに来訪する人も多く、結果としてかなりのスペー
スを来訪者用のスペースとして使用している。
 俺たちはお馴染みとなった雑談スペースの定位置に行くと、そこにはグッさんが一人で
静かに勉強していた。
「おまたせ、香奈ちゃん♪」
 美咲がグッさんに後ろから抱きついた。
「わあ、美咲ちゃん? あ、みんなもお疲れ様」
 それぞれ挨拶をしてから、椅子に座る。グッさんの前が俺、その隣に美咲。その前が弘
明で、その隣がグッさんになるのが、いつもの定位置だった。


「へえ〜、今日は弘明君もバスケ部に参加してたんだ?」
「そう。雄一がどうしてもって言うからね。俺としてもたまに身体を動かすのも悪くない
し、オッケーしたわけだよ」
「でも、すごいよね、弘明君。勉強も出来るけど、バスケもできるんだ」
 バスケだけではない。こいつはたいていのスポーツはそつなくこなすやつなのだ。
 だいたい、メガネを掛けているくせに勉強もできてスポーツもできるとは、どういうこ
となんだと俺は問いたい。全国のノビタくんに謝ってほしい。
「ぼーっとしてた雄一よりは、弘明くんのほうが何倍もカッコよかったよ♪」
 おのれ、美咲め。
「まあ、そういじめてやるな、舞阪。やる時はちゃんとやる男なんだよ、雄一は。グッさ
んも知ってるよな」
「うん。いざという時は雄一君の集中力すごいもん。だから、大丈夫だよ、雄一君」
 なぜかはわからないが、ふたりに励まされていた。でも、元気は出てきた。
「ありがとな。弘明、グッさん」
「イイってことよ。舞阪とのいちゃいちゃを毎日見せてもらえりゃ、俺としては何も言う
ことはないからな」
 ……。
「ま、毎日いちゃいちゃしてるんだ……」
 グッさんまで。
「ほら、美咲。こいつらになんとか言ってやってくれ」
 美咲はにっこり笑うと、こう言った。


「雄一とのイチャイチャは毎日ビデオ録画してるから、いつでも貸してあげるよ☆」


 100パーセントありえないことなのに、美咲が言うと本当にやっていそうな気がする
のはどうしてだろう。
 弘明は大笑いし、グッさんは顔を赤くしつつも笑っている。
 ま、みんなが笑っているならいいか。
 こんな親友たちと一緒に過ごすなら、夏の暑さも気にならないからな。


「10日目 雄一観察日記」


 今日はとっても気持ちよく目が覚めたので、雄一にも同じ気持ちを味わってもらおうと
思いました。
 雄一の家に行くと、ちょうど雄一のお母さんがお仕事に出かけるところでした。
「あら、おはよう、美咲ちゃん。悪いけど、雄一起こしてくれるかな?」
「おはようございます。今日もお仕事なんですよね」
「そうなの。でも、美咲ちゃんや麻美ちゃんがいてくれるから、いつも安心して出かけら
れるわ」
「気にしないでください。雄一もうちのお母さんの手伝いをしてくれてますし、お互い様
ですよ♪」
「ありがとう、美咲ちゃん」
 雄一のお母さんは、私の頭をやさしく撫でてくれました。
「それじゃあ、行ってきます♪」
「行ってらっしゃ〜い」
 雄一のお母さんを見送ると、わたしは雄一の部屋に向かいました。


 そうっと扉を開けると、雄一は気持ち良さそうに眠っていました。
「雄一、すごく気持ち良さそう……。でも、目が覚めたらもっと気持ちいいはずだよね」
 わたしは雄一をゆさぶって起こすことにしました。
「ゆういち〜、朝だよ〜」
 ゆっさゆっさ。
「……」
 起きてくれません。
「ゆういち〜、お昼だよ〜」
 ゆっさゆっさゆっさ。
「……ぐう」
 起きないどころか、軽くいびきも出ました。むう。
「ゆういち〜、夜になっちゃったよ〜。早く起きないと朝になっちゃうよ〜」
「……って、お前は夜中に起こすんかい!」
 やっと起きてくれました。よかった、えへへ。


「美咲のせいで、ずいぶん寝不足な気分だ……」
 目をしょぼしょぼとこすりながら、雄一が文句を言います。
「大丈夫大丈夫、それは気のせいだから」
 きっぱり。
「そうかあ?」
「もちろんだよ。もしまだ眠たいんだったら、お姫様のキ」
「おおっし、今日も一日がんばろうっ」
 急に立ち上がった雄一は、元気いっぱいでした。


「今日もお天気が気持ちいいねっ」
 お日さまは元気よく働いていて、時々吹いてくる風も気持ちいいです。
「そうだな。毎日毎日こんなに晴れなくてもいいとも思うけどな」
「でも、晴れてくれないと洗濯物が乾かないでしょ?」
 雄一は少し考えて、
「いや、乾燥機があるじゃん」
 と言いました。なんとも夢の無いセリフです。
「確かに乾燥機は便利だけど、自然が一番なんだよ。お日さまのにおいは雄一も好きでしょ」
「そりゃまあな」
「でしょでしょ♪ それに、天気がいいと気分を浮かれてくるもん」
「それは、美咲だけのような気もするけど」
 そうかなあ。そんなことないと思うけど。


「それじゃ、こうしたら雄一も気分が浮かれてくるかな?」


 わたしは雄一の腕をつかむと、胸でぎゅーっと抱え込みました。
 すると、雄一の顔が赤くなってきました。ぽかぽかしてきたのかな?
「だーっ! だからなんでお前はっ」
「……いやなの?」
「くっ、……そ、そういうわけじゃないけど」
「だったら、いいよねっ♪」
 顔を赤くした雄一と、ふたりでいつものように学校に向かいました。


「11日目 おやすみタイムはすいみん時間」


 夏休みも十日を過ぎて、いよいよ夏も本腰を入れてきた。具体的には、晴れの日が多く
なってきており、セミの数も増えているんじゃないかという感じの合唱が、エンドレスで
聞こえている。
 この夏一番のいい天気だが、意外にも風があって過ごしやすい。
 午前中の練習を終えた俺と美咲は、昼飯を食べるために体育館裏の日陰ベンチにやって
きた。
「今日はね、お姉ちゃんがお弁当作ってくれたんだ〜。はい、これ雄一の分ね」
「サンキュー。麻美さんにもお礼を言っておいてくれ」
「だめだよ、雄一。そういうのはちゃんと本人に言わないとね。お姉ちゃんも、わたしが
伝えるよりも雄一に直接言ってもらうほうが嬉しいと思うの」
 確かにその通りだった。親しき仲にも礼儀あり、とも言うし、帰りに麻美さんに会って
いこう。
「わかった、そうするよ。んじゃ、いただきます」
「いただきま〜す」
 お弁当はシンプルなもので、たまごやきにひとくちハンバーグ、ポテトサラダにプチト
マトと、どこにでもあるようなおかずである。
「おいしいね、雄一」
「ああ、麻美さんの弁当はいつも美味しいな」
 でも、美味いのである。出来たてでもないし、特選素材でもない、はたまた麻美さんが
調理師免許を取得しているわけでもないのだが、美味しいのだ。
『料理は愛情』と言うが、それが具現化しているような魔法のお弁当なのだった。


 水筒からこぽこぽとお茶を注いで、美咲の前に置いてやる。
「あ、ありがと〜。やっぱり夏は麦茶だよね♪」
 キンキンに冷えた冷たいお茶も捨てがたいが、お腹を壊すといけないのでほどほどに冷
たくしたお茶は夏の必須アイテムだ。
「麦茶を飲んでると、夏っていう気分だよなあ」
 食後のまったりタイム。木陰でのんびりできるのは最高のぜいたくかもしれない。
 見上げた空には、もくもくと大きな入道雲。堅苦しく言うと積乱雲なんだけど、俺たち
にはやっぱり入道雲が一番だ。
「うわあ、すっごいくもだねえ。これはしっかり見ておかないともったいないよね♪」
 美咲はどこかからレジャーシートを持ってくると、芝生の上に敷いて横になった。
「ほらほら、雄一も」
 隣をぺしぺしと叩いて美咲が催促する。
「わかったよ」
 俺は美咲の隣で横になると、木陰の間から空を見上げた。
 上空は風が強いのか、雲がすごい勢いで流れていく。まるで、ビデオ撮影の早回しを見
ているみたいだ。
「日食みたいな何年に一度のイベントもすごいけど、今日の雲も十分すごいよな」
「そうだね〜。……ふああ。なんだか眠くなってきちゃった」
「ちょっとぐらいならいいんじゃないか。ほら、俺が起こしてやるからさ」


「きちんと起こしてくれないとダメだよ。約束だからね?」


 そう言って目を瞑ると、美咲はすぐに寝息を立て始めた。この寝つきのよさはすごいな。
つか、こんな屋外でも平気で寝られるのかな。
 美咲の顔を見ていたら、俺もだんだん眠くなってきた。
 ま、ちょっとぐらいならいいよな……。


「きちんと起こしてって言ったじゃない!」
「起こしただろ。……ただ、ちょっとだけ遅くなっただけだ」
 その日の帰り道。
 ちゃんと起こしてやったのに、俺に文句を言い続ける美咲をなだめながら、帰る俺たち
なのだった。
 さすがに、美咲の顔を見ていたら起こせなかったとは、口が裂けても言えない。


「12日目 夏の夜はやっぱり」


「あ、美咲ちゃん、雄一君〜こっちこっち」
「ごめんね、香奈ちゃん。ちょっと遅れちゃった。……弘明くんに襲われなかった?」
「え……、そ、そんなわけないじゃない」
「と、グッさんは言ってるが、お前に脅されている可能性もあるよな。さあ、真相はどう
なんだ、弘明よ」
「時々お前は俺の親友なのかと疑いたくなるな、雄一。お前こそ、遅くなった理由は舞阪
といちゃいちゃしていたからじゃないのか?」
「な……、そ、そんなわけないに決まってる」
「って、雄一君は言ってるけど、真相はどうなの、美咲ちゃん?」


「真相はね、わたしが雄一を襲ってました☆」


 いつもながらどうでもいいやり取りだが、いつもとちょっとだけ違うところは、今が夜
の八時をまわった時間であること、場所が学校のグラウンドであるということ、そして、
各人の手には花火セットがあることだった。


 七月もいよいよ最終日。夏休みもあっというまに四分の一ほどが過ぎた。部活やら宿題
やら順調にこなしてはいるが、あまりみんなで遊んでいないということで、夏なんだから
花火をしようということになったのだ。
 河原まで行ってもよかったんだが、うっかり川に落ちでもしたら大変なので、無難なと
ころで学校のグラウンドを会場にした。
 昼間は部活でにぎやかなグラウンドも、夜になると静かなもんだ。
 だが、そんな静かな空間も美咲が花火に火をつけた瞬間、華やかな空間へと変化した。
「やっぱり夏はドラゴンだねえ〜」
 こいつは何を言ってるんだろう、という無粋なツッコミはなしだ。というか、この状況
で『ドラゴン』が何を意味しているかわからない人は、花火で遊んだことがない人だけだ
と思うんだがどうだろう。
 美咲が据え置きの(という表現でいいのか?)花火をメインにやっている横で、弘明は
どこから集めてきたのか、ビールびんを束にして、ロケット花火を大量に発射している。
かと思えば、グッさんはひとり静かにあの『にょろにょろ』を楽しそうに眺めていた。
 なんだ、このカオスな空間は。
「ほらほら、雄一も早くしないと。花火なくなっちゃうよ?」
「お、おう」
 俺は袋の中に手をつっこんで、適当に取り出してみた。
「えーと、ねずみ花火と……なんだこりゃ?」
「雄一、考えるな、火をつけろ、だよ♪」
 なんて物騒なやつだ。
 ともあれ、俺は火をつけてみた。まずはねずみ花火に火をつけて、弘明の足元に放り投
げた。
「お、甘いぞ雄一。これぐらいでこの俺を倒そうとは三日早いぜ!」
 すぐに追いつけそうだ。俺は次に謎の花火に火をつけて、さらに弘明の足元に投げてみ
た。
「うおおっ! な、なんだこれ? ねずみ花火に自動的に向かっていくぞ?」
「ねこ花火、か?」
 そんなもんがあるのかは知らないが、すごい勢いでねずみ花火を駆逐していった。そし
て、ねずみ花火を駆逐した後は、弘明に向かっていった。
「うわあー!!」
 弘明のまわりをぐるぐるとまわって、ねこ花火は四散した。後には、弘明だったものが
横たわっていた。


「イタタ、なんだったんだ、あの花火は」
「ご、ごめんね弘明くん。かわいいカタチの花火だったから、買ってみたんだけど」
「いやいや、グッさんのせいじゃないから気にしないでくれ」
 いや、悪意はないが、どう見ても犯人はグッさんなんだが。
「それじゃ、残りはまた今度って事で、最後に線香花火をしようよ♪」
「そ、そうだな」
 花火はまだたくさん残っているが、これ以上犠牲者を出すわけにはいかないしな。


 ぱちぱちと静かに燃え続ける花火を見つめながら、みんなの顔をそっと見る。
 みんな、一生懸命に自分の花火を見つめている。
 やがて、ぽとり、ぽとりと落ちていって、最後までがんばっていたのは美咲だった。
「えへへ〜、最後まで残ったんだから、わたしが王様だよね♪ それじゃあ、帰りは雄一
がわたしをおんぶして帰る事」
 ちょっと待て、いつからこれは王様ゲームになったんだ。
「おめでとう、美咲ちゃん。雄一君、しっかりね」
「がんばれよ、雄一」
 ……あー、もう。
 結局、俺は美咲をおんぶして帰る事になった。
 夏の夜に、ポニーテールが気持ち良さそうにはずんでいた。


「13日目 真の夏がはじまった」


「いよいよ夏本番だね、雄一!」
 朝から元気200%の美咲が、俺を叩き起こした。
「本番も練習もないだろ……。美咲の中ではいつから本番なんだ」
 眠い目をこすりながら言うと、
「八月から♪」
 と、満開の笑顔。これは、もう何を言ってもダメだと、俺の経験が判断した。
「しょうがない。今着替えるから、美咲は朝メシを用意してくれ。食パン焼くだけでいい
から」


「隠し味に、たっぷりの愛情はいかがですか?」


「……程ほどにな」
「うんっ☆」
 うれしそうに頷くと、ポニーテールを振り回しながら部屋を出て行った。
 焼きあがったパンに、どんなジャムが塗られているかは、想像しないほうがよさそうだ。


 土曜日なので部活は休みだ。だが、夏休みは「休み」ではないのだ。何を言っているの
か伝わらないかもしれないが、ニュアンスで判断して欲しい。
 どこに遊びに行こうと考えている暇もないので、とりあえず目に付いた自転車を引っ張
りだしてみた。
「自転車に乗るのも久しぶりだなあ」
 ペダルを回してみると、多少重たい気はしたがちゃんと回ってくれた。これならきっと
大丈夫だろう。
「雄一。盗んだ自転車で走り出しちゃいけないんんだよ?」
 美咲が疑わしげな目つきで俺を見る。
「いやいや待て待て。明らかに俺の家の庭にあった自転車だろ。しかも俺が買ってもらっ
た自転車で、俺の名前もちゃんと書いてある。さらに、それを言うなら『盗んだバイク』
だぞ」
「じゃあ、雄一は盗んだ自転車で走ってもいいって言うの?」
 時々会話が通じないんだよな……圏外なんだろうか。
「もう〜、雄一は冗談が通じないんだから」
 冗談通じなくてもいいから、会話を通じさせてくれ……。


 俺はとりあえず、美咲を荷台に乗せて走りだした。
「せっかく荷台があるんだから、二台で行くのはもったいないでしょ」
 というのは美咲の言葉だが、どこにも説得力はカケラもない。
「どこに行く?」
「富士山!」
「いや、ムリだから。で、どこに行く?」
「琵琶湖!」
 お前は日本一ばっかりだな。
「せめて、日帰りできるところでお願いします」
「それじゃあね、玉城公園展望台にしようよ♪」
 ま、それが妥当なところか。
「オッケー。それじゃ出発しまーす。発車間際の駆け込み乗車は大変危険なのでお止めく
ださい」
「準備はバッチリだよ〜」
 ぎゅうっと俺の腰に腕を回す美咲。……っく、やわらかいな。
「どしたの、雄一」
「い、いや、発射、じゃなくて発車します!」
 俺はくすぐったさをガマンしながら、ペダルに力を入れた。


「14日目 遊びと勉強の両立」


 ニュースでは、今年の梅雨明け宣言は出ないかもしれませんと言われているが、たとえ
梅雨が終わらなくても、夏休みが終わらないわけじゃない。最終日に地獄を見ないために
も、計画的に宿題をこなしておく必要があった。


「雄一〜、夏休みなんだから遊びに行こうよ〜」
 美咲が俺のベッドに寝転んでぶーぶー文句を言っているが、俺は今日はきちんと宿題を
やると決めている。
「俺だって遊びたいけど、ちゃんと宿題をやっておかないとダメだろ。美咲も、まだ宿題
残ってるんだろ」
「ふふん♪」
 自慢げに胸をそらす美咲。寝転んだまま器用なことだ。
「もしかして、もう終わったとか?」


「あのね、雄一。夏休みの宿題ってのは、提出日に終わっていればいいんだよ」


 そりゃそうなんだが、こいつの言うことを鵜呑みにしたら大変なことになる。
 そう思った俺は、黙々と宿題を進めることにした。
「むむー、美咲ちゃんをほおっておくと、すごいことになっちゃうんだからね」
 なぜ、宿題をしているのに脅されなければならないんだ……。
 とはいえ、権力(?)に屈するわけにはいかない。
 俺はそうっと携帯電話を操作すると、勉強に戻った。


 美咲はごろごろと寝転びながらマンガなど読んでいるようだが、どうやら積極的に俺の
邪魔をするつもりはないらしい。
 どうせなら勉強すりゃいいのになあ。と思ったが、余計なことを言って機嫌を損ねても
つまらないから、俺は黙って宿題をしていた。


 そのうち、飽きてきたのか美咲は部屋をうろうろし始めた。
「なんだか暑くなってきたな……」
 ぱたぱたという音が後ろから聞こえる。
「……脱いじゃおうかな」
 ……! いやいや、それはないよな?
「雄一、こっち見ちゃダメだよ〜」
「お、おう」
 見ちゃダメと言われると、見たくなるのが人の常である。
 しゅるり、しゅるりという音が確かに聞こえる。まさか、本当に脱いでいるのか?
 いやいや、さすがの美咲と言えど、そんなことはしない……よな。……でも、美咲だぞ。
 ごくり。俺は思わず唾を飲み込んだ。いつのまにか喉がカラカラになっている。
 どうしよう……と思った時、コンコンとノックの音が聞こえた。
 ちょ、今はマズイって!
「はーい、どうぞ〜」
 それなのに、美咲が返事をしやがった。だから、ここは俺の部屋だっての!


「お邪魔します。雄くん、お茶でもいかがかしら? それとね美咲ちゃん、ちょっと手伝っ
てほしいことがあるんだけど、うちまで来てくれない?」
「うん。いいよ、お姉ちゃん♪」


 へ?
 俺が振り向くと、美咲はちゃんとTシャツを着ていた。あれ、確かに脱いでいる音が聞こ
えていたんだけど。
 美咲はすぐに立ち上がると、部屋を出て行った。麻美さんは俺にウィンクすると、美咲
の後を追った。
 実は、麻美さんを呼んだのは俺だった。勉強の邪魔をされても困るので、適当なところ
で美咲を連れて行って欲しいとメールを送ったのだ。
 だから、麻美さんが来たのは俺の予定通りなんだけど……。
 ま、いいか。これで落ち着いて勉強ができるな。
 と、俺は思ったのだが、ある物が目に入って、それはかなわないことになった。


 どう見ても、女物の下着の上だけが、そっとたたまれて俺の後ろに置いてあったのだ。


 美咲のものに間違いないと思う。が、どうすりゃいいんだよっ!
 勝手にどけておくわけにもいかないし、そのままにしておくわけにもいかない。
 悶々とする気持ちを抱えて、俺は捗らない宿題を前にして苦悩するのだった。