1週目

「1日目 刺激的な目覚まし」


 太陽の自己主張が、夏休みに入ったとたんに激しくなったと思えるような日差しが、朝
からさんさんと降りそそいでいる。
 だが、文明の象徴とも言えるエアコンが静かに稼動している笹塚雄一の部屋は、太陽よ
りも涼しさの主張のほうが勝っており、部屋の主である雄一は安眠状態だった。
 かちゃり。
 そこへ、こっそりと侵入する一人のポニーテール少女。いつもニコニコ、元気150パ
ーセントの舞阪美咲だ。
「うわ〜、朝からこんなに涼しい部屋なんて、夏に対して失礼だよね〜」
 美咲は雄一に聞こえないように小声で呟く。まあ、聞かれたくなければ声に出さなけれ
ばいいだけなのだが、喋らずにはいられないのが美咲だ。
 気づかれないように、姿勢を低くして雄一の枕元にひざを立てて座る。
「むむむ、気持ち良さそうに寝てる。……しかし、今に飛び起きることになろう、ふふふ」
 と、誰も聞いていないのに独り言を口に出すと、美咲はそうっと雄一のベッドの上に移
動した。


 ……なんだか、苦しい。
 夢の中、という感覚はあるのだが、そもそも夢なのに苦しさを感じるなんてことがある
のだろうか。
 夏の寝苦しさから解放されるように、きちんとエアコンをタイマーセットしてあるはず
だ。暑すぎず寒すぎず。最適な温度設定と時間設定をしてあるから、暑さの心配はいらな
いはず。
 なのに、この苦しさはなんだ?
 寝苦しいのではなくて、なんというか、重苦しい。
 これは、もしや金縛りというやつだろうか。
 睡眠中に起きる現象らしいから、ありえないことじゃないけど、まさかなあ。
 そう思って、身体を動かそうとしたら、……う、動かない。
 ずっしり、その表現が一番ぴったりだろう。先ほどの『重苦しい』感覚とも一致する。
 しかたない、とりあえず目を開けてみるか。


 雄一がゆっくりと目を開けると、美咲の顔が5センチの距離にあった。


「のうわああっっ??!!」
 情けない悲鳴を上げて、雄一は飛び起きた。いや、飛び起きたつもりだったが、雄一の
身体は動かず、代わりに
「うにゃああっ!」
 猫のような声を出して、美咲がベッドから転げ落ちた。
「……美咲?」
「いたた……、もう〜、ひどいよ雄一〜。お嫁に行けなくなったらどうするの〜」
 美咲は大きなお尻をさすりながら文句を言った。 
 ベッドから落ちてお嫁にいけなくなるヤツなんているのか。
 と思ったが、起き抜けなのでうまく口が回らず、結局出てきたのはありきたりな言葉。
「……おまえ、なんでここにいるんだ?」
「なんでって、雄一を起こしに来たんだよ。ほら、目覚まし時計よりも30分も早いよ。
さすがは美咲ちゃんだね☆」
 えへんと大きな胸を張る美咲。いや、目覚ましと張り合ってどうする。
「ほら、バスケ部の敏腕マネージャーさんとしては、部員の管理もばっちりなんだよ」
 意味がわからん。
「つか、……今日は祝日だから部活休みだろ。休み中の部活は明日からってことにみんな
で決めたよな?」
 夏休みとはいえ、部活はある。むしろ、休みだからこそ、しっかり練習できるってこと
もある。それだけに、オーバーワークには気をつけなくちゃいけないってんで、みんなと
話し合った結果、カレンダーが赤い日は休みにしようってことになった。
「なんでおまえは知らないんだ、敏腕マネージャーさん?」
「……そだっけ??」
 美咲が首を捻ると、トレードマークのポニーテールがぴょこんと揺れた。
 あー、もういいや。
「ま、起こしに来てくれたことに礼を言っておこう」
「えへへ、どういたましてグリ」
 誰のモノマネだ。世代を考えろってんだ。
「ところで、美咲。さっき何しようとしてたんだ、なんか、やたらと近かったような」


「だって、王子様を起こすのはお姫様のキッスって言うでしょ♪」
 

 こいつ、自分をお姫様と言いやがった! いや、そうじゃなくて。
「雄一が動かないように、そーっと両手両足を押さえてたんだよ。あともう少しだったの
にな〜」
 ……あ、危なかった。つか、あの金縛りはそれが原因かよ。
「それとも、口で起こしたほうがよかった?」
 く、くち?
 一瞬、よからぬ妄想が浮かんだが、
「朝〜、朝だよ〜。朝ごはん食べて学校行くよ〜」
 ……そっちかよ! だから世代を考えろっての!
「あー、なんかお腹空いてきちゃった。ほら、起きたんだから朝ごはんだよ、雄一♪」
「わかったわかった。すぐに着替えて行くから」
「……手伝ってあげよっか♪」
「いらんわっ」
 にへへ〜、と笑う美咲を追い出して、俺はさっさと寝巻きを脱ぎ捨てた。


「2日目 黒幕はあなた」


 また美咲にあんな起こし方をされるのはかなわないので、予定よりも35分前に目覚ま
しをセットして眠りについた。
 うまくいけば、美咲をビックリさせられるな、ふふふ。と思いながら目を閉じたのだが。
 翌朝、つまり今だ。俺は目覚ましの音で目を覚ますことになった。
「なんだ、今日は来ないのか?」
 食べたくも無い肩すかしを食った俺は、朝飯を速攻でたいらげると、スポーツバッグを
持って家を出た。
 太陽は眩しく、いやでも今が夏だということを思い出させてくれる。
 俺は軽く屈伸運動をすると、ゆっくりと走り出した。目指すは美咲の家。
「敏腕マネージャーを迎えに行かないとな」


 美咲の家の前に着くと、玄関を掃除している人がいた。美咲の姉、麻美さんだ。
「おはようございます、麻美さん」
「おはよう、雄くん。今日もいい天気ね〜」
 麻美さんはにこにこと微笑みながらそう言った。


 舞阪麻美。美咲のお姉さんで、俺にとっても姉みたいな人だ。昔からお世話になってい
ることもあって、いろいろ頭が上がらない人だったりする。
 小さい頃からロングヘアーなんだけど、いつ切ってるんだろう?
 髪型は基本はストレートだが、掃除の時は簡単にリボンで結わえている。


「美咲いますか?」
「美咲ちゃんなら、ぐっすり寝てたわよ?」
 おいおい、敏腕マネージャーは何してるんだよ。
「どうして知ってるんです」
「だって、起こしに行ったらね、『王子様が来るまで寝るんだもん』って。まったくもう、
可愛いんだから、美咲ちゃんは♪」
 なんて妹ラブなお姉ちゃんなんだろうか。
 それはさておき、夏休みの部活初日から遅刻するわけにはいかない。
「あの、俺が起こしてもいいですか?」
 と麻美さんに言うと、
「もちろんよ。だって、雄くんの他に王子様っていないじゃない♪」
 やけに嬉しそうに、いや、楽しそうに麻美さんは笑った。その笑顔は美咲そっくりだ。
「それじゃ、ちょっとお邪魔します」
「は〜い。あ、そうそう雄くん」
 麻美さんがぱたぱたと駆け寄ってきて、俺の耳元で囁いた。


「あのね、お姫様を起こすのは、王子様の熱〜いキッスなのよ♪」


 やっぱりあなたが黒幕か。
 俺はやれやれと肩をすくめると、舞阪家の玄関をくぐった。
 その日の部活は、ぎりぎりで遅刻を免れたとだけ、書いておこう。


「3日目 日替わり定食、大盛り!」


 夏休み3日目。実質は先週の土曜日から始まっているわけだが、あくまでもカレンダー
にこだわりたいところである。だって、土曜には土曜の、日曜には日曜の楽しみ方がある
だろう?
 さすがに今日は俺も美咲も普通に起きて、学校に行った。セミの鳴き声がうるさいが、
それにも慣れつつある。まあ、美咲の相手は慣れることはあっても飽きることはないが。
 夏休みではあるが、学校は開放されている。部活の為に出てきている生徒もいれば、勉
強のために出てきている生徒もいて、学内はそこそこのにぎわいをみせていた。
 体育館に着くと、すでに俺たち以外のメンバーは揃っていて、それぞれ身体をほぐして
いるところだった。
「ようし、それじゃ練習始めようか。まずはランニングからかな」
「一番遅く来たくせに、なんでエラそうに仕切っているんだ、笹塚。最後にやってきたヤ
ツはグラウンド10周って罰ゲーム、忘れたのか? お前が提案したんだろう」
 すでに身体をほぐし終えてボールの感触を確かめていた中村がツッコんできた。細かい
ことを覚えているヤツだ。
 言い方はキツイが、コイツに悪気はない。無愛想が服を着ているとクラスメイトに陰口
を叩かれることもあるが、根はいいやつなのだ。それはバスケ部のメンバーなら誰も知っ
ていることだ。
「しょうがない。それじゃちょっと走ってくるよ。それじゃ中村、練習進めておいてくれ
るか?」
「おう」
 中村は早く行けと手を振る。……根はいいやつだったよな?
「雄一、がんばってね♪」
「おう。美咲も練習の手伝いよろしくな」
「うん!」
 俺はダッシュで荷物を部室に投げ入れると、ダッシュでグラウンドに入っていった。
 幸いにして、今日の天気はくもりだ。


「ぴぷ〜〜〜。はーい終了〜。みんなお疲れ様! これで今日の練習は終わりだよ♪」
 美咲の声を聞いて、みんな体育館のフロアの上に寝転がる。ぜいはあと息が切れている
が、フロアの冷たさが火照った身体に心地よかった。
「しかし、その口笛なんとかならないのか、美咲。どうにも脱力するような気がするんだ
けど」
「え〜、普通だと思うんだけどなあ」
 首を傾げる美咲のポニーテールが揺れる。
「舞阪の口笛はさておいて、今日の練習はもう終わりなのか。まだ昼には早いぞ?」
 中村が珍しく会話に加わってきた。
「ああ。でも、今日は日食だろ。せっかくだから見ておこうと思ってさ。他の部活も協力
して、練習切り上げてるらしいんだ」
 グラウンドを走っている時に、他の部活のヤツに話しかけられて、そういうことになっ
ていることを知ったのだ。
「そうか、わかった」
 そういうと、中村は一人静かにストレッチを始めた。うーん、納得すると聞き分けがい
いのはいいと思うけど、もう少しフレンドリーにならないものかな。
「そういうわけなので、みんな学内の好きなところで日食観察しましょう♪」
 美咲がそう言うと、仲の良いやつらが固まって移動していった。


「美咲はどこで見るんだ? やっぱり屋上とかか」
「わたしは……雄一の隣かな♪」


 だから、そういう台詞はやめろっての。恥ずかしくなるだろ。
「そ、それじゃあここでいいか。わざわざどこかに行くのもめんどうだしな」
 俺は照れくささを隠してそう言うと、入り口の風通しのいいところに座る。美咲も俺の
隣にぺたりと座った。
「あー、でも今日はくもってるからあんまりよく見えないかもね」
 空を見上げると、確かにくもっていた。先ほどは太陽が出ていたような気もしたけど、
今はすっかり雲で覆われているようだ。
「ほんとだ。……うーん、これは見えそうにないかな」
「……雄一、テニス部の女の子のアンダースコートは見えなくて当然だよ?」
「誰が見てるんだ、誰が!」
「でも、今想像したでしょ。想像したよね♪」
 あははと楽しそうに笑う美咲。
 そんなことをしているうちに時間は過ぎて、結局のところ、日食は見れずじまいだった。
「残念だったな」
「こればっかりはしょうがないよ。でも、次の日食の時も雄一と一緒にいられるといいね♪」
 だから、恥ずかしくなるってのに……。
「あー、それじゃ昼飯にするか。今日は俺がおごってやるよ。何がいい?」
 美咲はにっこりと笑って言った。
「学食の日替わり定食! 今日は『日食定食」なんだって。楽しみだよね〜」
 なんだそりゃ。それは日替わり定食定食の略称か?
「日替わり定食、大盛り! うーん、早く行こうよ、雄一♪」
 揺れるポニーテールを追いかける俺なのだった。


「4日目 学生の本分」


 昨日はあんなにもしっかり曇っていたのに、今日は太陽のターンとでも言いたいのか、
朝から元気に太陽は陽射しを降りそそいでいた。
「おっはよ、雄一。今日もがんばろうね♪」
 そして、美咲も変わらず元気だった。まあ、美咲から元気を取り除いたら何も残らない
わけで、当然ではあるんだけど。
「あー、そんなこと言っていいのかな。後で困っても助けてあげないよ?」
 はいはい、と受け流しつつ学校に向かって歩く俺は、後にこの言葉を後悔することを、
今は知る由もなかったのだ。
 ……まさか、こんな言い回しを使う日が来ようとはな。


 午前中は短時間だが密度の濃いバスケ練習。にぎやかな昼休みを挟んで、昼は勉強の時
間だった。
 学生たるもの、夏休みには『夏休みの宿題』というものが存在する。
 夏の午後などは一番暑い時間帯であり、部活の能率も上がらない。それならばいっその
こと、勉強の時間に当てようとみんなで決めたのだ。
 もちろん強制ではないので、それぞれ昼寝したり、遊んだり、奇特なことに個人練習し
たりと自由に時間を使っているヤツもいる。
 俺は、美咲を含めた何人かと、図書館にやってきていた。涼しい環境で勉強できるなら、
それに越したことはないしな。
 それに、ここの図書館は談話スペースもあるので、少々は喋りながら勉強していても問
題ない。
「おう、雄一〜。こっちだこっち」
 誰かが呼ぶ声が聞こえたのでそちらに顔を向けると、弘明がさわやかな笑顔で手を振っ
ていた。
「弘明も来てたのか。夏休みの宿題か?」
「ああ。家でひとり寂しくやってるよりはよっぽど捗るからな」
 こいつはきっとひとりでも、俺より勉強捗るぐらいには優秀だけどな。


 野洲弘明(やす ひろあき)。クラスメイトだ。一年の時に同じクラスになったことが
縁で、何かとつるむようになった。
「弘明くんは、今日はひとりなの?」
 美咲が問うと、
「ああ。グッさんは今日は用事があるって言ってた。お前たちが来てよかったぜ」
 俺としてもひとりで宿題やるよりは、みんなでワイワイやったほうが断然いい。たとえ、
勉強の効率が悪くたって、そんなことはどうでもいいことだ。
「そんじゃま、早速始めようか」
「うん♪」
「おう」
 それぞれジャンルは違うが、宿題を進めていく。こういうのは同じ教科をやってはダメ
であり、別々にやることに意味も意義もあるのだ。


「……むう」
 この問題、どうやって解くんだ? 夏休みの宿題なんて簡単だろうと高をくくっていた
が、なかなかどうしてムズカシイじゃないか。
「美咲、ちょっといいかな」
「ん、なあに?」
「この問題なんだが……」
 と、俺は隣に座っている美咲にムズカシイ問題のページを指し示す。
「……これが、どうかしたの?」
 ……あれ?
「教えて欲しいなー、と」
 美咲の表情を伺うように、俺は慎重に答えた。
「……後で困っても助けてあげないって言ったよね♪」
 満面に笑みを浮かべて、美咲は言った。
 ……しまった。顔は笑っているが、これは怒っている、間違いなく。
「そこを何とか」
 ここはくやしいが、下手に出るしかない。
「わたしから元気を取り除いたら何が残るのかな?」
 ……ぐっ。
「や、やさしい美咲さん、です」
「他には?」
「……か、可愛い美咲さんです」
「他には、他には?」
「ス、スタイルのいい美咲さんですっ」
「続けて続けて」
「や、やさしくて、可愛くて、スタイルのいい美咲さんです! そんな美咲さんに元気が
加われば、もう鬼に金棒ですよ!!」
 俺は夢中で美咲を褒めちぎった。
「もう〜、そこまで言われちゃしょうがないかな。よし、許してあげちゃおう」
 よしっ、やったぞ、俺……。
「それじゃ、この問題の答えを」
「うん、いいよ。ねえねえ、弘明くん。この問題を雄一に教えてあげて♪」
「おう。えーと、これはだな……」
 弘明はさらさらとノートに答えを書いていった。
「ふむふむ。雄一、これでいいかな?」
「……それ、ズルくないか」
「何言ってるの。美咲ちゃんのおかげじゃない☆」
 えへんと胸を張ってウインクをする美咲。……ちくしょう、可愛いな。
 これからは、学生の本分でもある勉強をおろそかにしないようにしようと、心に誓う俺
なのだった。


「5日目 帰り道の誘惑」


「よおし、みんなお疲れ〜。今日も密度の濃い練習ができました。明日と明後日は土日だ
から休みなんで、また来週からがんばろう。片付けは俺がやっておくから、回復したヤツ
から帰ってくれ。それじゃ、解散!」
 返事はなく、ぜいぜいはあはあという息遣いだけが、そこかしこから聞こえてくる。
 うーん、やっぱり一週間の締めにフルタイム試合はまだ早かったのかな。
 それでも、みんないやがって練習してるわけじゃないし、ケガに気をつけてればきっと
大丈夫だよな。なんせ俺たち、初心者揃いのバスケット部なんだから。
「お疲れ様、雄一。でも、みんなよりは平気そうだね」
「ああ。一応、これでも体力はあるほうなんでね」
 毎日、誰かさんの相手をしていれば、いやでも体力はつくというものである。
 俺は体育用具室からモップを出し、床掃除を始めた。まだ寝そべっているヤツも端まで
ついでに押してやる。
「ちょ、やめろって笹塚」
「遠慮すんなって。今はおとなしくしとけよ」
「おとなしくしてられるか! 床と一緒に掃除されてたまるか!!」
 元気よく立ち上がって、大声で叫んだのは中村だった。
「来週は俺がお前をモップがけしてやるからな。じゃーな!」
 そう言い放って、中村は歩いていった。なんだ、まだまだ元気あるじゃん。
「中村くん、部員の中では一番やせてて体力なさそうだけど、けっこうすごいよね」
「ああ。多分、俺たちじゃなくて部員のみんなも驚いてるんじゃないかな」
 たまたま声をかけてみただけで、まさか参加してくれるとは思ってなかったこともある
が、思わぬ拾いものってやつかな。みんな、中村には負けられんって気持ちがあるから、
練習もダレたりすることがない。いい感じだ。
「俺は残りのモップがけをやるから、悪いけど美咲は開けてあるドアを端っこから閉めて
きてくれないか」
「オッケー。敏腕マネージャーさんにおまかせあれ♪」
 美咲は元気よく走っていく。ほんと、あいつの元気は無限大だな。


 体育館の施錠をして、鍵を職員室に返す。
 職員室には、何人かの先生が仕事をしているようだった。休みとはいえ、先生たちも大
変だなあ。
「おう、笹塚。部活終わったのか」
「あ、平田先生。今、体育館の鍵を帰してきたところです」
「そうか。悪いな〜、練習見てやれなくて。七月はいろいろ忙しくてさ、お前たちに任せっ
きりになっちゃうけど、八月になったら時間も取れると思うから」
「ありがとうございます。それじゃあ、俺は帰りますね。お仕事がんばってください」
「おう。そういや、舞阪はどうした、一緒じゃないのか?」
「美咲なら、外で待ってますけど」
「女を待たせるなんて、ひどい男だな」
「先生が話しかけるからじゃないっすか」
 平田先生はニヤリと笑う。
「冗談だ。ちゃんと送ってやるんだぞ。狼には気をつけてな」
「いや、今の日本に狼はいませんし」
「何を言ってる。お前が狼じゃないか」
 ……。先生、それも冗談なんですよね?


「もう〜、雄一が遅いからわたしナンパされちゃうところだったよ?」
 平田先生の口撃を乗り越え、職員室を出た俺が美咲のところに行くと、いきなりそんな
ことを言われた。
「どこの誰だよ、そんな物好きは」
「平田先生」
 ……あの教師、美咲が待っていること、知ってやがったな。
「つーか、平田先生は女だろ。……まさか、先生はレ」
「ぴぴー。不適切な発言禁止。先生はバイなんだよ」
「そっちのほうが不適切だろ?」
 認識の違いなんだろうか。
「ちなみに、それって本当なのか」
「そうなんじゃない? 先生自身が言ってたし」
 限りなく胡散臭いな。
「それで、美咲はなんて言って断ったんだ?」
「……気になるの?」
「そ、そりゃまあな」
 えっへっへ〜、と美咲は嬉しそうに笑う。


「雄一がアイスクリームをおごってくれるので、先生にはつきあえませんって言ったんだ
よ☆」


 そんなこんなで、帰りは商店街に寄って、美咲にアイスクリームをおごらされる羽目に
なったのだが。
「ああっ、あのカキ氷すごく美味しそう〜。ねえねえ雄一、あれどうかな?」
「それじゃ、アイスは無しだな」
「ええっ、そんな〜。あっ、あのタコヤキ見てよ。特別タイムサービスで、10個百円だっ
て!」
「アイスより安上がりだな」
「あれは幻の特大コロッケ!! う〜、食べたいなあ〜」
「お前、俺の話聞いてないよね」
「え? 全部おごってくれるって? もう〜、雄一ったら太っ腹なんだから♪」
「言ってない! そんなことひとことも言ってないからっ!」
 あれやこれやと、美咲の目標が移り変わるたびに、俺の財布は軽くなるのだった。 


「6日目 後悔は似合わない」


 土曜日の朝。今日は部活が休みなので、実に一週間ぶりに目覚ましのない、自然な目覚
めを得られた気がする。
 うーん、やっぱり自然が一番だよな。規則正しい生活も大事だとは思うが、日の出と共
に起きて、日の入りしたら就寝という生活も悪くないかもな。
 ……いや、そんな生活は美咲が許さないだろう。あいつは時間の許す限り遊びまくる。
遊ぶ時間がなければ、ムリヤリにでも作るからな。何度ムチャなことをやらされたことか。
 そんなことを考えながら朝食を済ませると、携帯電話がメール着信のメロディを奏でた。
「えーっと、美咲からか」
『おはよ、雄一。ちゃんと起きてる? 敏腕マネージャーさんは、休みの日でも完全サポ
ートなんだよ♪ それじゃ、今日もはりきっていこう!』
 文面はシンプルなものであり、どこにもおかしなところはない。が、これが美咲から送
られてきた、ということ自体が問題なのだ。
「しょうがない。ちょっと散歩にでも行くとしますか」
 食後の腹ごなしも兼ねて、俺は出かけることにした。そのついでに、ちょっと寄り道す
るぐらいはいつものことだ。


 天気が不安定なので、陽射しよけの帽子をかぶりつつも、傘を片手に歩く。備えあれば
憂い無し、というやつだ。いや、むしろ憂いが有るから備えているような気もするな。どっ
ちがこの場合正しいんだろう。
 などとどうでもいいことを考えながら歩いていると、目の前にポニーテールのお姉さん
が現れた。
「おはようございます、麻美さん」
「おはよう、雄くん。どうかしら?」
 いきなりどうかしらもないと思うが、ここで返事を間違えると好感度が下がるので、
「よく似合ってますよ、ポニーテール。でも、珍しいですね」
 と答えた。
「ありがとう♪ ポニーテールって元気の象徴みたいなところがあるでしょ。だから、こ
れを見た人は元気になってくれるかなって」
 ……やっぱり。
「美咲、います?」
「ええ。部屋で寝ているわ。私はちょっと薬局まで行ってくるので、戻ってくるまで美咲
ちゃんのそばにいてくれないかしら」
「オッケーです」
 ありがとう、と麻美さんは小走りで歩いていった。
 これは、予感が的中したかな。


 コンコン。
「はーい。あ、雄一。……ちゃ、ちゃんと起きたんだね。やっぱり美人マネージャーさん
大活躍だね」
 美咲はにっこりと笑う。布団に入ったまま。
 俺はツッコみたいところをガマンして、美咲のそばに腰を下ろした。
「おかげでちゃんと起きたよ。で、美咲はどうして寝てるんだ。風邪か?」
 夏とはいえ、風邪をひくこともある。特に最近は新型インフルエンザも流行しているか
ら、もしかしてということもあり得るが、今回はいいはずだ。
「ううん、風邪じゃないよ」
 やっぱりな。もしインフルエンザの兆候があるなら、麻美さんが美咲のそばにいてあげ
て、なんて言うはずがない。
「それじゃあどうした。気分が悪いのか」
「えっとね、言っても怒らない?」
「なんで怒るんだよ。怒られるようなことか?」
「うん」
 即答された。
「……オッケ。特別サービスで、怒るのは明日にしておく」
「ううっ、それはサービスに入らないよぉ〜」
 泣きまねをする美咲。無論、そんなことでごまかされたりはしない。
「……しょうがない。他ならぬ雄一のお願いだから、教えてあげようかな」
 そこまでお願いしてないけど。
 美咲は一回深呼吸をすると、こう言った。


「食べすぎでお腹壊しました」


 ちょ、それは女の子としてどうなのさ。
「昨日のアレが原因だよな、やっぱり」
「うん、多分……。昨日は平気だったんだよね。帰ってからも普通にごはん食べたし、デ
ザートにスイカも食べたし、お風呂上りにホットミルクも飲んだし。
「それは、すごいな……」
「でしょう? えっへん」
 威張るところではない。
「で、今朝になったら急にお腹痛くなってきちゃった。動くと余計に痛くなるから、寝た
ままでゴメンね」
 それは今謝るところじゃないだろ。
「はあ〜、ったく、心配させるなよな」
「……ごめんなさい」
「俺にじゃなくて、麻美さんにだよ」
「お姉ちゃん?」
「ああ。俺は、美咲の心配なんて慣れっこだし、いちいち気にしてないからさ。麻美さん
も美咲の姉さんなんだから慣れてるかもしれないけど、心配させないほうがいいよな」
「うん。でも、それじゃ雄一も……」
「だから、俺は慣れてるからいいの。何度も同じことを言わせないように」
 コツンと美咲の頭を叩く。
「えへへ、ありがと」
 叩かれて喜ぶな。
「でも、俺も断りきれずに奢ってしまったから、責任が無いわけじゃないよな。今度から
気をつけるよ」
「そうだね」
 ……お前が言うな、とツッコみたい気持ちを必死でガマンした。
「まあ、やっちまったもんはしょうがない。次に同じことしないようにな」
「うん! 後で後悔しないように、今度からはもっと胃袋を鍛えておくねっ。……あいたっ」
 ここはツッコんでもいいところだよな。
 でも、美咲には沈んだ顔も後悔も似合わない。多少暴走しても、俺がブレーキをかけて
やれば、それで大丈夫だと思う。
「えへへ」
 美咲はニヤニヤと笑う。
「どうした?」


「雄一の顔を見てたら、なんだかお腹痛いのが弱くなってきたかも♪」


 喜んでいいのだろうか。
「……よかったな」
「うんっ」
 本当に元気が出てきたような、そんな笑顔の美咲だった。


「7日目 雷雨でライブ?」


 さわやかな日曜、ということを歌っている歌もあるけど、今日さわやかだったのは午前
中だけだった。
 俺と美咲、それから弘明とグッさんの4人で駅前で待ち合わせて合流したところで、突
然雨が降ってきた。
「うわ、いきなり降ってきたねえ〜」
「そうだなあ。あ、グッさん、もう少しこっちに来ないと濡れちゃうよ」
「……え? あっ、ありがとう、雄一君。でも、弘明君が……」
 グッさんが指差す先には、天に向かって祈りをささげている弘明の姿があった。あいつ
は何をやっているんだ?
「おーい! 早くこっち来いよ、弘明」
 弘明は俺の声が聞こえたのか、ようやくこっちにやってきた。短時間とは言え、ものす
ごい雨だったので、早くも服には雨がしみている。
「いやあ、すまんすまん。早く雨がやんでくれるように祈ってみたんだが」
 それは逆効果だったようで、ざーという音から、どじゃーという激しい音に雨は変化し
ていた。
「こりゃしばらくは無理だろうな。ちょうど昼飯時だし、どっか入ろうぜ」
 弘明の提案に俺たちは乗ることにする。しかし、こいつこんなに濡れてて平気なのか。
「はい、弘明君。タオル使って?」
「お、サンキュー、グッさん。助かるよ。しかし、これはもはや着替えたほうがいいかも
しれないな」
 タオルを受け取って弘明はあちこち拭きながら、そう言う。
「それじゃあ、あそこに行こうよ♪」
 それまで黙っていた美咲が指差した先には、キラキラと輝くマイクのオブジェがあった。


「ここなら他の人に迷惑もかけないし、お昼ごはんも食べられるし、時間もつぶせるし、
一石三兆だよね♪」
 それを言うなら一石三鳥だろうな。でも美咲の選んだここ、カラオケボックスは確かに
ベストチョイスかもしれない。
 ネットカフェもそうだけど、今のカラオケボックスは食事も出来て、大人数でパーティ
ーもできるぐらいなのだ。
「それじゃ、俺と弘明はちょっと服を買ってくるよ。美咲とグッさんは何か料理を頼んで
おいてくれるかな」
「オッケー。早く帰ってきてね☆ ほら、香奈ちゃんも」
「う、うん。は、早く帰ってきてね。弘明君、雄一君」
「ああ。ちょっと行って来るよ!」
 グッさんも弘明もノリノリだな。まあ、こういう時は水を差さないほうがいいか。
 手をひらひらと振る美咲とグッさんを残して、俺と弘明は外に出た。


 矢口香奈(やぐち かな)。弘明と同じく、俺と美咲のクラスメイトだ。おっとりした
性格で美咲とは対極な感じだが、意外にも気があったらしい。
 最初はおとなしいだけだと思っていたが、徐々に美咲の影響を受けたのか、言いたいこ
とがしっかり言えるようになってきた。
 一歩引いたところから全体の流れを見ているので、俺たちが気づかないことを指摘して
くれることもある。
 ちなみに『グッさん』とは彼女のニックネームで、誰が言い出したのかはわからないが、
いつの間にか定着していた。


 適当な店に入って、店員さんオススメのTシャツを買った弘明は、いい買い物をしたと
満足していた。いや、その雷様のデザインはどうかと思うが、本人が納得しているのなら
何も言うまい。
 俺たちがボックスに戻ると、テーブルの上にはあたたかい料理が並んでおり、美咲がマ
イクを二つ握って熱唱していて、その隣ではグッさんが楽しそうに手拍子していた。
 帰ってきた俺たちに気づいた美咲が、ポニーテールを嬉しげに揺らした。


「あ、お帰りなさ〜い。ごはんにする? それとも歌にする? それとも」


「ごはんにしよう」
「……言わせてくれてもいいじゃない」
 ぶつぶつと言う美咲をスルーしつつ、俺たちはそれぞれ食事を始めるのだった。
「う〜、いいもん。わたしは歌っちゃうんだもん。わたしの歌を聞けー♪」
 それから俺たちが食べ終えるまでは、美咲のひとりライブ状態は続くのだった。